今日読んだところ(※)に書いてあった言葉を受け入れられずに抵抗している。
そうすることで何かいいことがあるのか?その考え方は間違っていて自分が正しいというプライドを守ることができて何か「スッキリ」したような気持ちになるだけ。
ネガティブな感情の中でスッキリするって、ちょっとイラッとして発散した時に感じる一時的な感じ。それやったところで何が起きるんだ?…結局またネガティブが巡るだけ。
それでも無意識なのかこだわってしまうのは、「スッキリ」っていう脳内物質が出るかどうかでしか判断できていないのかも。
麻薬ってそういう感じなんだろうな、こうしたら楽になれるって安易に行きやすい。それが染み付いちゃっているんだろうな、そこを感じるのが大事だな。
フラットなときに客観的に視ると、こだわって執着するだけの意味ってほぼ無いことが多いんだよね。脳内物質のおかげで一瞬ちょっと開放された気になるだけの話で。
ネガティブな中でこだわってぐるぐるしてしまっているんだろう、ネガティブな中で引っ張られて脳内物質が出る安易な選択をしてバランスを取っちゃっている。
そこを取っ払うことでフラットで全体がポジティブな状態でいられるんだ。
明らかにこっちの方がいいのに抵抗している。抵抗してしまっているという悲嘆と、手放しに取り組んでいるのにまだまだ至らない自分に罪悪感を感じている。
にしても感じられればもっと気づけるようになれると思うし、気づいたときにはフラットになって行動が起こせるようになるという感覚は見えてきている。
それがまだまだ行ったり来たり…あぁこの発想もプライドから来てるな、自分はイケてるときもあるんじゃないかっていう。そうやって色々なネガティブをはらんじゃっている、そこをまた感じていくのが大事だな。
感じ尽くすってどういうことかピンとこなかったけど、感じ尽くす重要さを感じている今。
部分的に「ここは感じられてます」って、自分は感じられている状態にいるんだぞと思いたい欲やプライドで何とか心のバランスを取ろうとしている。それは見せかけのポジティブ、脳内変換して仮想的に躁(そう)状態を作ってる。
感じ尽くす。感じ尽くしている時に色々気になって思考に走っちゃう時は、またそれを感じて手放す。結局またここに帰着する(笑)
※夫はDr.D.R.Hawkins「Letting go」の一部を毎朝読んだ後、妻の手放しコーチングを受けている。手放しコーチングはコーチング・エトワール。
この話をしている時に夫が私と比較して理解が追いついていないってネガティブを感じる時があると言っていた、近づいたんだってフワッと感じたいって。
人それぞれ違うから気にしなくてもいいのにという思いと、違う分野だと私もそう思うこともあるだろなって共感もする。そして同じでいたいと思ってくれることに愛おしさも感じる。(妻のつぶやき)